列教者の鐵 物語: (Mirror of the Martyrs: Stories of Courage - Japanese Translation)

Book, 2002, 105 pp
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信仰のためにいのちをささげた 16 世紀のアナパプテストその生き生きとした物語を現代に語る

序文

この度「殉教者の鏡」からの物語が、棚瀬先生によって翻訳されたことには大きな意義があ ります。 それはこの書が、 現代の教会が忘れ去ってしまおうとするキリストの真の証人のあり 方を指示しているからです。

本書はファン・プラハトの本文とヤン・ライケンの104枚の版画による「殉教者の鏡」とい 16世紀のアナバプテストを中心とする殉教者の記録よりの抜粋です。 このような殉教の事 実はストーリー(物語) によって語り継がれて来たものであり、物語と同じようにその描写で ある版画が、読者にさらに深い理解を与えることができるという編者の意図のもとに編集され たものです。

私は本書中に出て来る迫害する役人たちが使った諸道具のことを読んで、 1998年ロバート・ リー博士と共にエルクハートのメノナイト神学校を訪ね、 メノホフの歴史博物館を見学した時 のことを思い起こさせられました。 拷問用のいろいろな道具を見、 拷問の情景などを見て、んともいえない不条理な感覚に襲われ、 恐怖と共に怒りをさえ感じたことでした。 それにもかかわらず、これらの殉教者たちがイエス・キリストを信じる信仰を貫くために命を落としていっまた、最も強力なキリスト証言の姿に感動したことを思い起こしています。

日本にも長崎におけるキリシタン迫害があり、 多くの殉教者がでました。 先日、韓国の指導 的牧師と会って教会の成長について語り合った時に、彼から韓国教会の発展はもちろん熱心な 祈りによる聖霊のみわざであることには違いないが、南北戦争のおりに数多くの牧師の流され た殉教の血が土台になっていることを聞き、 襟を正す思いがしました。

ある意味において、 聖書におけるキリスト証言は殉教者によって、 その要所要所を継承され て来たように思われます。 もともと「証言」 という言葉と 「殉教」という言葉は同根の用語と されているのも、この辺の消息を伝えています。

イエスは律法学者やパリサイ人に対して、 彼らが預言者や神の知者たちを苦しめ、 殺した旧 約聖書の殉教史をひとことに要約して、 「こうして義人アベルの血から、 聖所と祭壇との間で あなたがたが殺したバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上に流された義人の血の報いが、 ことごとくあなたがたに及ぶであろう」 (マタイ23:35) と語っておられます。 また同時に、 イエス・キリストご自身が人類の罪のゆえの最大の殉教者となられたことを聖書は告げていま す。 ペテロもパウロもヨハネも殉教によって証しを全うしました。

しかし、こうした殉教という不条理にみえる殉教者の死はけっしてそれで終わっていないことを聖書は告げています。ヨハネの黙示録4章以下には天の礼拝の情景が描写されており、予 羊が賛美される中で殉教者たちのために特別な座が設けられ、慰めと永遠の勝利を与えられて いる姿を見ることができます(ヨハネの黙示録6:9~117:13~17)。そして、最後の 勝利は殉教者たちのものであります。

その時わたしは、大きな声が天でこう言うのを聞いた、 「今や、われらの神の救と力と国と、神のキリストの権威とは、 現れた。 われらの兄弟らを訴える者、夜昼われらの神のみまえで彼らを訴える者は、投げ落された。 兄弟たちは、小羊の血と彼らのあかしの言葉とによって、彼にうち勝ち、死に至るまでもそのいのちを惜しまなかった......」ーヨハネの黙示録 12:10~11

本書を読むことによって、16世紀頃の殉教者を偲ぶだけでなく、現代の私たちもその信仰の 継承者として、最後の勝利のあることを確信して前進できたら幸いです。

2002年9月

東京聖書学院院長・東京ミッション研究所理事長

小林和夫

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